【2025注目の逸材】
いしい・そうすけ
石井爽介
[福岡/6年]
こやのせ
木屋瀬バンブーズ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】中堅手、投手
【主な打順】四番
【投打】右投右打
【身長体重】167㎝59㎏
【好きなプロ野球選手】王貞治(元巨人)、藤川球児(元阪神ほか)
※2025年8月31日現在
ウワサの120㎞投手
己の出力に肉体が耐えきれなくなり、ついには悲鳴をあげてしまう。そんな激レアの小学6年生が、今夏の全国舞台にいた。
「福岡に120㎞を投げる子がいるらしい」「でもピッチャーではないみたい」…。
全日本学童大会マクドナルド・トーナメントの開幕を前に、そういう噂(うわさ)をされていた張本人。福岡県から初出場してきた木屋瀬バンブーズの背番号8、石井爽介だ。
結論からいこう。噂はほぼ真実だった。正確には、球速のMAXは118㎞。室内練習場で自動計測されたという。
「小学生の甲子園」とも称される伝統の夢舞台で、今夏はメイン球場でも球速表示がなされなかったのは残念でならない。けれども、数値や噂の真偽なんて、もはやどうでもいい! そう思えてくるほど、全国デビューした彼のパフォーマンスは突き抜けていた。
1回戦(対簗瀬スポーツ・栃木)の「四番・中堅」に名を連ねた石井は、3打数2安打2盗塁2得点で、7対2の勝利に貢献。この1試合だけでも、彼に首ったけとなったのは筆者だけではないだろう。
まず輝いたのは脚力だ。地面を足で噛んで進むかのように、ぐんぐんと爆発的に加速する。そしてトップスピードのまま、頭からベースに飛び込んで土を跳ね上げる様の、美しさと迫力といったらなかった。
1回の第1打席ではテキサス安打で二進。そして一死二、三塁からのスクイズで一気に三塁を蹴り、本塁を陥れた(2ランスクイズ成功=下写真)。
3回の第2打席では、逆方向へクリーンヒットから初球で二盗。その際、足から滑ったあたりで送球が自身のヘルメットに当たり、転々とするや体勢を立て直しながら三塁へ。そして次打者の左飛で、タッチアップから本塁に生還している(=下連続写真)。
「50m走のタイム? 最近は計ったことがないですけど、7秒1とかだったと思います。走るので負けたことはないです」
タッチアップで頭から本塁に生還すると、立ち上がるや地面のマスクを拾って相手捕手に手渡すシーンも印象的だった
スペシャルな武器に
学生野球では、日本記録(5秒75)も超える眉唾ものの50m走タイムが報じられたりもするが、石井の脚力は紛れもない本物で、眉だって凛々しい。実際はもう6秒台で走っているのかもしれないが、本人は数値に執着していないようだ。
そんな石井はまた、中堅守備でも人々を呆気にとった場面がある。
3回表、二死二塁のピンチからだった。相手の三番打者が放った打球は、ガラ空きの右中間へ。そして二走は生還したが、打者走者は二塁ベースの手前でタッチアウトに。特設フェンスへ達した打球にイチ早く追いつき、拾い上げるやノーステップのワンバン送球で、二塁ベース上へ白球を届けたのが石井だった。
全国1回戦の3回表、右中間への打球を処理した中堅の石井は、打者走者を二塁で刺して3アウトに。仲間と揚々と引き上げる(上)
相手の先頭打者から連続二塁打による1点で始まったこの試合。守る木屋瀬の外野陣が、以降も浅めにいることが多いのが、やや気掛かりだった。だがそれも、両翼70mの特設フェンスがあるなかで、石井の足と肩を最大限に生かした作戦だったという。以下、勝利後の中川芳生監督(=上写真)の弁。
「ネット(特設フェンス)がなければ、ウチが右中間・左中間を抜かれることはまずないんです。センターの石井がみんな追いつくから。でも、全国大会はネットがあるので、右中間・左中間を抜かせてから、石井がワンバンでセカンドに投げて刺す。全国を決めてから、そういう練習もずっとしてきたんですよ」
要するに、3回表に奪った8-6転送のアウトは偶然ではなく、練習の賜物だったのだ。石井の無類の能力と、指揮官の柔軟な頭が、スペシャルな守りの武器を創出。その“見せ場”となったワンシーンは、1分間のプレー動画に収められなかったが、大会主催者の試合動画で全景を確認することはできる。
全国準々決勝では、アウトは奪えなかったものの、中堅から三塁へ力強く正確な送球も披露(撮影/福地和男)
全国初陣のそれも前半3イニングだけで、これだけの脚力と投力を見せつけられたら、登板への期待も爆上がりというもの。
4回終了後の給水タイムから、三塁側ベンチ横のブルペンに入った石井は、恐ろしく速くて、一直線に伸びてくるストレートを投げていた。こちらはプレー動画の冒頭にあるので、ぜひ!
今は“諸刃の剣”でも
「センターの石井さんがピッチャーへ…」
7対4とリードして迎えた最終6回表。相手打線が3巡目に入るタイミングで、118㎞右腕が、いよいよマウンドに登った。
ところが、アクセル全開となる前の投球練習で、投げ終わりに右足を気にするように。5球目でついに右ふくらはぎを手で押さえてから、引きずるように歩いてベンチへ。
「足をつりました。野球が終わって帰るときによくつるんですけど、今日はそれが早く出てしまいました…」
短時間の荒治療で回復せず、再び右足を引きずりながらマウンドに戻ってきた背番号8は、球審の「プレイ!」と、中川監督からの「申告敬遠!」と投手交代を聞くと脱帽し、またゆっくりとベンチへ(=下写真)。初陣のラストを締めることはできなった右腕を、指揮官はこうかばっている。
「石井はいつも115㎞以上は投げています。素直でみんなに好かれる子。相手のクリーンナップと勝負させてやりたかったんですけど、仕方ない。(投球練習で)雰囲気だけでも全国のマウンドを体験できたのは今後のプラスだし、今日はランナーでも結構走ったので、脚の負担がいつも以上だったんでしょうね」
石井は翌日の2回戦(対越前ニューヒーローズ・福井)で、最終回一死からマウンドへ。超アグレッシブな強力打線の二番打者から対戦し、1四球のみの9球で試合を終わらせている(10対6)。
またこの一戦では、遊撃手の真横を抜けたゴロがそのまま左中間フェンスへ達するという、とんでもない速さの打球を2打席連続で放ち、いずれも三塁へ達している。
「フェンスオーバー? 何本かは打っています。でも多いのはランニングホームランです」
柔術で築かれた土台
肉体が負けてしまうほどの高出力。その土台は人並み外れた体幹の強さにあり、就学前から始めた柔術でそれが養われたのではないか。そう指摘するのは、一男二女を育てる石井家の父だ。
「野球は息子の意思で始めましたけど、まずは足腰が強くなるようにと、自宅近所の柔術の道場に私が通わせました。4年生の途中までは道場にも通っていて、競技人口が多くないし、体重別だったりしましたけど、国際大会で金メダルとか、大会に出ればだいたいメダルを獲っていました」(父・元気さん)
それほどの身体能力だから、小学校では遊びのボール投げでも目立つ存在だった。そんな石井を木屋瀬バンブーズに誘ったのが、先に入部していた飯田航平(二塁手)と、崎村一真(左翼手)。
「柔術の道場も楽しかったんですけど、4年生でチームで野球を始めて、秋にヒジを壊してしまって。必然的に野球だけになりました」
ポジションは三塁に始まり、一塁、左翼、中堅へ。投手も兼務するようになったのは5年生の終わりから。野球歴が半年もないうちに、ヒジが負けてしまうほどの強い腕の振り。それがやがて118㎞のスピードボールも生むことになるが、早々のケガでスポーツドクターや理学療法士に出会えたことも幸いしたようだ。
「チームの活動は土日だけなので、平日は自主練でティーバッティングとかをお父さんに手伝ってもらうことが多いです。あとは通院しながら、ストレッチとか体のケアを毎日やっています」
柔術で育まれた性格
父・元気さんは学生時代はバドミントン一筋で、石井の姉と妹も野球とは無縁。またチームには、個性的な打ち方の選手に投手も複数いて、一方的に型にハメる指導や選手1人に頼り切る野球はしていない。そういうなかで石井父子は、ネット上に溢れる情報へもアクセスしながら、実践と考察と取捨選択を繰り返してきているという。
結果、石井の憧れは往年のプロ野球選手に。『世界のホームラン王』こと王貞治氏(現・福岡ソフトバンクホークス取締役会長)と、浮き上がるような『火の玉ストレート』で一世を風靡した、藤川球児氏(現・阪神タイガース監督)だ。
「王さんはいつもホームランを打っちゃうところが好きです。藤川さんはストレートがすごいなと思って、動画を見てます。将来はボクも野球でメジャーリーグに行きたいです」
全国準々決勝は1対3で敗北も、大会屈指の大型右腕から最終回に右へエンタイトル二塁打。二塁へ向かう途中には派手にガッツポーズした(撮影/福地和男)
いつでも丁寧な言葉で、爽やかに受け答えができる。その由来は「爽介」という名前ではなく、柔術の道場で幼少期から厳しく躾けられたおかげだという。
「格闘技やスポーツに限らず、言葉遣いは大切やけ! と教えられてきました」
野球歴は3年未満。細かな技術や基本的な動作など、まだまだ足りていない面が多いことも自覚している。全国大会でチームは8強入りし、石井は12打数6安打の打率5割。長打と盗塁がそれぞれ4と、3回戦以降も活躍することになるが、「自分よりすごいと思う選手がいっぱいいました」と振り返る。
スーパーな原石はまだ、角の一部が顔をのぞかせたに過ぎないのかもしれない。粗削りさえも魅力でしかなく、どこまで輝くのかさえ未知数ながら、とんでもないスケールを感じる。どうやら、そういう評価は筆者だけではないようだ。
全国大会の後、石井はホークスジュニアに内定。最終候補の20人に入っており、これから対外試合などを行い、10月には正式メンバーの16人が決まる予定だ。
「全国大会でいっぱい良い経験をさせていただいたので、それも今後に生かしていきたいと思います。柔術は1対1の勝負で、それもおもしろいんですけど、野球はみんなで一つになって協力し合ってやるところが好きです」
そんな息子の将来について、父が望むことはひとつだけだという。
「素直で真っすぐな性格に育ってくれたので、このまま捻くれずに生きていってもらえたら。野球で目立つこともあるかもしれないけど、そこだけは変わらないでほしいなと思っています」(元気さん)
野球人としてどういう完成形に仕上がるのか。5年、10年というスパンで見守りたい超逸材だが、どの道、誰からも愛されるという未来は約束されている気がする。
(動画&写真&文=大久保克哉)